麻野耕司の学歴|高校は偏差値73なのにADHDで忘れ物だらけ?

2026年3月29日に元AKB48の篠田麻里子さん(40)との入籍を報告した麻野耕司さん(46)。

ナレッジワークCEOとして活躍するIT社長ですが、その学歴が「超エリート」だと注目を集めています。

出身高校は偏差値73とも言われる甲陽学院、大学は慶應義塾大学法学部。

一方で、麻野耕司さん自身がADHDの傾向を公表しており、忘れ物や失くし物が多いという意外な一面も話題になっています。

今回は麻野耕司さんの学歴とADHDのエピソードについて詳しく調査しました。

この記事を読んで分かること
  • 麻野耕司さんの出身高校・大学と偏差値
  • 高校時代やギャル男だった大学時代のエピソード
  • ADHDの公表内容と忘れ物にまつわる具体的なエピソード
目次

麻野耕司さんの学歴まとめ|甲陽学院から慶應法学部へ

麻野耕司さんの学歴は、甲陽学院中学校・高等学校(兵庫県西宮市)→慶應義塾大学法学部です。

中学受験から私立の超難関校に通い、大学も私立最難関に進学するという、まさにエリート街道を歩んできた経歴の持ち主です。

出身高校は偏差値73の甲陽学院中学校・高等学校

麻野耕司さんの出身高校は、兵庫県西宮市にある甲陽学院高等学校です。

甲陽学院は完全中高一貫校のため高校からの入学はできず、麻野さんも中学受験で入学しています。

中学入試の偏差値は69〜73と情報源によって幅がありますが、灘・東大寺学園と並んで「西の御三家」と呼ばれる超難関校であることは間違いありません。

2026年度の進学実績では卒業生約200名に対し、東京大学33名・京都大学54名の合格者を輩出しており、全国トップクラスの進学校ですね。

慶應義塾大学法学部に進学

高校卒業後、麻野耕司さんは慶應義塾大学法学部に進学しました。

慶應法学部の偏差値は学科にもよりますが67.5〜80とされており、早稲田大学と並ぶ私立大学の最難関です。

麻野さんは2003年に慶應義塾大学を卒業し、そのまま組織人事コンサルティング会社のリンクアンドモチベーションに入社しています。

甲陽学院→慶應法学部という学歴は、現在のビジネスキャリアの土台になっていると言えるでしょう。

麻野耕司さんの高校時代はバレーボールに熱中

麻野耕司さんは甲陽学院時代、勉強だけでなくバレーボールに熱中していたことが分かっています。

超難関校に通いながらスポーツにも打ち込む、文武両道の学生時代だったようです。

「西の御三家」甲陽学院の自由な校風とは

甲陽学院高等学校は、制服も校則もほぼないという自由な校風で知られています。

一人ひとりの個性を尊重するカリキュラムが組まれており、生徒の自主性に委ねる教育方針が特徴的です。

また中学と高校で校舎の場所が異なるという珍しい形態をとっています。

RYO

成長期の心身の発達を考慮した配慮とのことで、こうした環境が麻野さんの自由な発想力や起業家精神を育んだのかもしれません。

中学受験のきっかけは父の一言だった

麻野耕司さんが甲陽学院を受験したきっかけは、父からの一言でした。

本人は「中学受験の際に『将来やりたいことが見つかった時に選択肢が広がるから入りなさい』と言われたことがきっかけ」と語っています。

RYO

麻野さんの父は自動車の塗装設備をつくるエンジニアで、海外勤務が多かったそうです。

麻野さん自身も小学校低学年の頃はアメリカで生活していた経験があり、中学から大学まで私立校に通っていることからも比較的裕福な家庭だったことがうかがえますね。

大学時代はギャル男?意外すぎるキャンパスライフ

偏差値73の甲陽学院から慶應法学部に進んだ麻野耕司さんですが、大学時代は意外にも「ギャル男」だったと報じられています。

エリート学歴からは想像しにくいギャップに驚く方も多いのではないでしょうか。

ロン毛で日焼けサロン通いの日々

麻野耕司さんが大学生だった2000年前後は、まさにギャル男全盛期。木村拓哉さんが茶髪のロン毛ヘアで一世を風靡していた時代です。

出典:NEWS PICKS

麻野さんもロン毛ヘアで日焼けサロンに通い、コンパなどで遊んでいた時期があったとのこと。

ただし本人は「楽しい大学生活を送りながらもこのままではいけないと不安な気持ちがあった」と振り返っており、遊びに流されるだけではなかった様子がうかがえます。

インターンシップで一変|起業家を志すきっかけに

麻野耕司さんの大学生活を大きく変えたのは、大学3年時のインターンシップでした。

もともと「自分でビジネスを立ち上げたい」という思いがあった麻野さんは、インターンシップを通じて起業家への道を真剣に考え始めます。

当時は「起業家は商社出身が多い」と感じたことから、将来に備えて大手商社から内定を得ていたそうです。

しかし最終的にはリンクアンドモチベーションへの入社を選択。

この判断が、後の「モチベーションクラウド」立ち上げやナレッジワーク創業につながっていくことになりました。

麻野耕司さんがADHDを公表|忘れ物だらけのエピソード

超エリートの学歴を持つ麻野耕司さんですが、自身のnoteでADHDの傾向があることを公表しています。

忘れ物や失くし物が多いという特性に、長年向き合ってきたことを率直に語っていました。

本人がnoteで語った「公私に不具合を引き起こす」特性

麻野耕司さんは2023年11月、43歳の誕生日を迎えた頃にnoteで「僕はエジソンみたいになりたい」という記事を公開しました。

記事の中で麻野さんは「僕はADHDの傾向があり、忘れ物・失くし物が多いことをはじめとした自分の特徴が公私共に不具合を引き起こしてしまうことが昔からよくありました」と述べています。

さらに「笑えるエピソードも多い」としながらも、「自分なりに悲しいことや悔しいこともありました」と心境を明かしていました。

一方で、「エジソンもADHDだった」という記事を読んで希望が持てたとも語っており、ネガティブな面だけでなく前向きに捉えている姿勢が印象的です。

新幹線2回乗り過ごし|箕輪厚介氏の暴露コメント

麻野耕司さんのADHD的なエピソードは、友人である幻冬舎編集者の箕輪厚介氏も動画で明かしています。

箕輪氏は「ねぶた祭に行ったときに新幹線を2回乗り過ごした男」「待ち合わせ場所にも着かない」とユーモアを交えてコメント。

さらに「なぜバツイチかというと、気が利かないから」とも語っており、私生活での不器用さがうかがえるエピソードですね。

もちろん、ADHDの傾向と離婚に直接的な因果関係があるかは分かりません。

ただ、友人がこうした話を笑い話として紹介できるのは、麻野さんの人柄が周囲に愛されている証拠ではないでしょうか。

ADHDでも最年少役員・CEO|学歴と経歴の関係

麻野耕司さんはADHDの傾向を自覚しながらも、リンクアンドモチベーションで当時最年少の執行役員に就任し、2020年にはナレッジワークを創業。

2023年には45億円の資金調達に成功するなど、ビジネスの世界で目覚ましい成果を上げています。

RYO

甲陽学院で培った基礎学力や論理的思考力、慶應で広がった人脈は、こうしたキャリアの土台になっていることは間違いないでしょう。

また、知人はNEWSポストセブンの取材に対して麻野さんを「ひとつのことをとことん突き詰めるところがある」と評しています。

ADHDには苦手なことがある一方で、興味のある分野に対して圧倒的な集中力を発揮する「過集中」の特性もあると言われています。

麻野さんが「新しいプロダクトを生み出すこと」に情熱を持ち続けられる背景には、こうした特性が強みとして働いている面もあるのかもしれません。

ナレッジワークの企業ビジョン「できる喜びが巡る日々を届ける」という言葉には、苦手なことがあっても「できる喜び」を大切にしてきた麻野さん自身の経験が重なっているように感じられます。

まとめ

麻野耕司さんの学歴は、偏差値73とも言われる甲陽学院中学校・高等学校から慶應義塾大学法学部という超エリートコースでした。

高校時代はバレーボールに熱中し、大学時代にはギャル男だった時期もあったという意外な一面も。

ADHDの傾向を公表しながらも最年少役員やCEOとして成功を収めた麻野耕司さんの姿は、学歴だけでは語れない魅力にあふれていますね。

篠田麻里子さんとの新生活でも、その突き詰める力で温かい家庭を築いていかれることを応援したいです。

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