横山裕さんは『SUPER EIGHT(旧 関ジャニ∞)』に所属、歌手や俳優などマルチに活動をされています。
2025年放送の『24時間テレビ48』ではチャリティーランナーに抜擢されましたね。
実は横山裕さんは、中学卒業後には高校進学せずに働いていたことを知っていますか?
気になる人もいるのではないでしょうか。
本記事では、横山さんが勤めていた建設会社がどこにあるのか調査するとともに、なぜ中卒で働かなければいけなかったのか、その理由を探っていきます。
横山裕が勤めていた建設会社はどこ?

横山さんは中学3年の頃にジャニーズ事務所にすでに所属しており、1年ほど現場作業などをしながら芸能活動と並行していました。
2024年12月28日放送のMBSテレビ『ごぶごぶ』では、本人が当時働いていた会社の付近を浜田雅功さんとともに訪れ、「そこに勤めていたんです」と実際の会社の前で明かしました。

「みんな学校と芸能活動を並行してやるんですが、僕は学校に行ってなかったので、建設会社と事務所(芸能界)を並行してやっていたんです。その会社がそこにあるんです」
浜田さんこれは初耳だったようで、何度も「マジで!?」と驚いていましたね。
建設会社でのエピソード
建設会社では足場を組んだり、壁をはつったり、運搬作業など肉体労働を主にしていたそうです。
横山さんは建設会社での日々を回想して「仲のいい同じ年の子もいて楽しかった。ジャニーズの活動が軌道に乗って辞めることになったけれど、とても居心地のいい職場でした。」と語っています。
中学3年からジャニーズに所属することになり、働き始めてからは職場と事務所を行ったり来たりする日々を送っていたという横山さん。
建設現場帰りでテレビ局に向かい、作業着で怒られたエピソードも披露されています
「テレビ局までニッカポッカで行って、めっちゃ怒られたことあります。
『夢売る仕事やねんから、その格好で来たらアカン』って」
引用:横山裕、若手時代は建設会社で勤務「テレビ局までニッカポッカで行って…」(日刊スポーツ)
その後、芸能活動が段々と忙しくなったため1年ほどで建設会社を退職することになります。
その際に社長からは「芸能界でだめだったらいつでも戻ってこい」と温かく送り出されたとのことです。
『ごぶごぶ』の収録日は祝日で会社が休日だったようで、横山さんは「会社の人に会いたかったですけどね」と残念がっていました。
中卒で働いていた理由が壮絶!
複雑な生い立ちとは

横山裕さんは3歳で両親が離婚し、5歳で母親が再婚しました。「横山」は義父の名字だそうです。
義父とは折り合いが悪く、団地の2階上に住む祖父母宅で一時暮らしていたこともあるそうです。
小学5年生の時に祖父の体調が悪くなり、その後は祖父母と両親(実母と義父)、6歳下と8歳下の異父弟を含め一家7人で暮らしました。
中卒で働いていた理由は家計を支えるため
横山裕さんが中学卒業後すぐに働くことを選んだのは、主に家庭の経済的な事情のためです。
- 父親が早くに家庭を離れ、母子家庭で育った。
- 母親が仕事を掛け持ちし家計を支えていたが、家計が苦しかった。
- 年の離れた弟2人の生活を支えるため、進学を諦めて働く必要があった
「早く自立して2人の弟を養いたい」との思いから、自身も中学校を卒業後は高校へは進学せずに実家を出て、芸能活動と並行して建設会社に就職したそうです。
次男は高校卒業後に無事に就職、三男の大学の学費を横山さんが全額を負担するなど、横山さんは常々「僕がしっかりしないと弟たちの将来がむちゃくちゃになる」「2人が独り立ちするまで支えなければ」と考えていたようです。
横山さんがいかに弟想いだったかが伝わってきますよね
まとめ
横山裕さんが働いていた建設会社はどこなのか、そして中卒で働いていた理由について解説してきました。
SUPER EIGHT(旧 関ジャニ∞)』のメンバーとして活躍する横山裕さんですが、中卒で建設会社に勤務していた背景には複雑な生い立ちがありました。
家計を支えるために若くして働かざるを得なかった状況は、多くのファンにとって驚きの事実だったのではないでしょうか。
しかし成功を収めた現在の横山さんの人生は、苦労を乗り越えた努力が実を結んだ結果だとも考えられます。
『24時間テレビ48』ではチャリティーランナーに抜擢された横山さんの、今後の活躍に目が離せません。
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