伊原陵人の経歴まとめ!中学の柔道部から大学指名漏れを経て阪神ドラ1へ

阪神タイガースで背番号18を背負う左腕・伊原陵人選手

智弁学園高校、大阪商業大学、NTT西日本を経て、2024年ドラフト1位で阪神に入団しました。

ここだけを見ると、ずっとエリート街道を歩んできたように感じますよね。

ところが実際には、中学で野球を離れて柔道部に入り、大学では好成績を残しながらドラフト指名漏れも経験しています。

そこからどのようにして阪神のドラフト1位まで上り詰めたのでしょうか。

伊原陵人選手の小学校時代から現在までの経歴を、転機となった出来事とあわせて紹介します。

目次

伊原陵人の経歴・プロフィール

伊原陵人選手は、奈良県橿原市出身のプロ野球選手です。

名前は「いはら たかと」と読みます。

項目内容
名前伊原陵人
読み方いはら・たかと
生年月日2000年8月7日
年齢26歳
出身地奈良県橿原市
身長・体重170cm・75kg
血液型B型
ポジション投手
投打左投左打
所属阪神タイガース
背番号18
ドラフト2024年ドラフト1位

これまでの経歴は、次のとおりです。

時期学校・所属チーム
小学校橿原市立晩成小学校・晩成フレンズ
中学校橿原市立八木中学校
高校智弁学園高校
大学大阪商業大学
社会人NTT西日本
プロ阪神タイガース

身長170cmとプロ野球の投手としては小柄ですが、キレのある直球と制球力が持ち味です。

スライダーやカットボール、チェンジアップなども使い、右打者の内角へ強気に投げ込めるのも魅力でしょう。

伊原陵人の小学校・中学校時代

伊原陵人選手が野球を始めたきっかけは、父親と4歳上の兄でした。

ただ、最初から迷わず野球一筋だったわけではありません。

小学生の頃には練習へ行かなくなり、中学では野球部ではなく柔道部を選んだ時期もありました。

晩成フレンズで野球を始める

伊原陵人選手は、小学1年生で地元の少年野球チーム「晩成フレンズ」に入りました。

父親が野球好きで、4歳上の兄も投手としてプレーしていたため、幼い頃から野球が身近にあったそうです。

2歳頃には、紙を丸めて作ったボールをテレビ台の枠へ何度も投げていました。

枠の中に入ればストライク、縁に当たればボールという自分なりのルールも作っていたといいます。

現在の持ち味である制球力の原点が、こんな幼い頃の遊びにあったと考えると面白いですよね。

一方、小学2~3年生頃には練習がつらくなり、数カ月間チームへ行かなかった時期もありました。

父親は晩成フレンズのコーチでしたが、無理に練習へ連れていくことはしなかったそうです。

本人が再び野球をやりたいと思うまで、静かに見守っていました。

八木中で柔道部から野球部へ

橿原市立八木中学校へ進学した伊原陵人選手は、野球部ではなく柔道部に入りました。

小学生時代に感じていた練習のつらさや、試合のプレッシャーから離れたい気持ちがあったようです。

兄も八木中学校の野球部に所属していたため、周囲は当然のように伊原選手も野球部へ入ると思っていました。

しかし、本人は仲のよい友人と一緒に柔道部を選びます。

柔道にも真剣に取り組んでいましたが、下校中に野球部が練習する姿を見て、再び野球への気持ちが強くなりました。

そこで中学1年生の終わり頃、柔道部から軟式野球部へ転部しています。

一度野球から離れたことで、自分が本当にやりたいことに気づいたのでしょう。

ドラフト1位指名後には、母校の八木中学校を訪問しました。

その際、伊原選手は中学時代について次のように振り返っています。

中学校時代の練習は厳しかったが、その時の経験が今につながっている。

出典:橿原市公式サイト

柔道部から野球部へ移った決断が、その後の野球人生につながる大きな転機になりました。

伊原陵人の智弁学園高校時代

中学卒業後は、奈良県の強豪・智弁学園高校へ進学しました。

2年春のセンバツではメンバー入りできませんでしたが、そこから力を伸ばし、新チームではエースを任されています。

2年秋からエース

伊原陵人選手は2年秋から背番号1を背負いました。

秋の公式戦では8試合中7試合に先発し、5完投、3完封、49奪三振を記録。

智弁学園の奈良大会優勝と近畿大会ベスト8入りに貢献しました。

この活躍によって、チームは翌年春のセンバツ出場を決めています。

2学年上には、後に阪神でもチームメイトとなる村上頌樹投手がいました。

1学年上にも松本竜也選手や福元悠真選手がおり、レベルの高い環境で投手として成長していきます。

3年春に甲子園出場

3年春にはエースとして、第90回選抜高校野球大会に出場しました。

初戦の日大山形戦では、先発して5回を投げ、5安打2失点。

リリーフした川釣聖矢投手とともに相手打線を抑え、智弁学園が勝利しました。

続く創成館戦では、9回途中まで1失点に抑える好投を見せます。

試合は延長10回の末に1対2で敗れましたが、伊原選手自身は8回1/3を投げて1失点でした。

甲子園での登板は2試合だったものの、強豪校のエースとして存在感を見せています。

高校時代には、根尾昂選手や藤原恭大選手を擁する大阪桐蔭とも対戦しました。

伊原選手は当時、相手のスイングスピードや体の強さに大きな差を感じたそうです。

現在は同じプロの舞台に立っていることを考えると、そこからどれだけ成長したのかが分かりますね。

夏は奈良大会準決勝で敗退

3年夏の奈良大会では、準決勝まで勝ち進みました。

対戦相手は、太田椋選手を擁する天理高校です。

伊原陵人選手が先発しましたが、試合は7対8で智弁学園が敗れました。

春のセンバツには出場したものの、高校最後の大会を甲子園で終えることはできませんでした。

伊原陵人の大阪商業大学時代

高校卒業後は、大阪商業大学へ進学しました。

関西六大学野球リーグで安定した成績を残し、大学球界でも注目される左腕へ成長しています。

通算15勝1敗・防御率0.91

伊原陵人選手は1年春からリーグ戦に登板しました。

当初は救援が中心でしたが、2年秋から先発を任されます。

2年秋は3勝1敗、防御率1.01を記録し、リーグの最優秀投手賞を受賞。

新人賞にあたる平古場賞にも選ばれました。

3年春にはさらに成績を伸ばし、5勝0敗、防御率0.28を記録しています。

投手部門のベストナインにも選ばれ、大阪商業大学の投手陣を支える存在となりました。

大阪商業大学の公式サイトでも、伊原選手のベストナイン選出が発表されています。

【担当記者クラブ賞】

 伊原 陵人(商3)

出典:大阪商業大学公式サイト「春季リーグ戦 3度目の完全優勝」

大学4年間のリーグ戦通算成績は、36試合に登板して15勝1敗、防御率0.91です。

139イニングで143三振を奪っており、数字だけを見るとドラフト指名されても不思議ではありません。

2022年ドラフトで指名漏れ

伊原陵人選手は大学4年時にプロ志望届を提出しました。

ところが、2022年のドラフト会議では最後まで名前を呼ばれませんでした。

通算15勝1敗、防御率0.91という成績を考えると、指名漏れは意外に感じますよね。

球団が指名しなかった具体的な理由は明らかになっていません。

当時は身長170cmという体格や直球の球速などが課題として見られていましたが、それが直接の理由だったとは言い切れません。

伊原選手は会議後、両親や兄の顔を見た瞬間に涙があふれたと振り返っています。

家族が残念そうにしている姿を見て、申し訳ない気持ちになったそうです。

それでも、ここでプロ入りを諦めませんでした。

後には指名漏れを経験したからこそ、もっと自分を磨きたいと思えるようになったとも語っています。

この悔しさを抱え、社会人野球のNTT西日本へ進みました。

伊原陵人のNTT西日本時代

伊原陵人選手は2023年にNTT西日本へ入社しました。

大学時代から評価されていた制球力に加え、社会人では直球のスピードと質を高めています。

この2年間が、阪神のドラフト1位につながる大きな転機となりました。

1年目から都市対抗に出場

NTT西日本では、入社1年目から先発投手として起用されました。

2023年の都市対抗野球では、三菱重工Eastとの初戦に先発。

6回2失点、8奪三振と好投しましたが、チームは1対2で敗れました。

社会人野球では大学時代よりも打者の技術が高く、簡単には三振を奪えなかったそうです。

一発勝負のトーナメントを経験するなかで、1球に対する集中力や勝負強さを身につけていきました。

2年目の2024年も都市対抗に出場。

初戦では5回1失点に抑え、社会人の全国大会で初勝利を挙げました。

チームもベスト8まで勝ち進んでいます。

肉体改造で最速149キロ

社会人時代に力を入れたのが、直球の強化です。

制球力には自信があった一方、大学時代から真っすぐの力強さに物足りなさを感じていました。

伊原選手は日本野球連盟のインタビューでも、当時の課題について次のように語っています。

一番物足りなかったと思うのはまっすぐでした。

出典:日本野球連盟公式インタビュー

そこでNTT西日本の1年目を終えたオフに、ウエートトレーニングを本格化。

上半身と下半身を含めて全身を鍛え、投球フォームも基礎から見直しました。

その結果、大学時代に最速147キロだった直球は、社会人で最速149キロまで伸びています。

単に速い球を投げるのではなく、打者が捉えにくい球の質にもこだわりました。

大学時代の指名漏れから2年。

伊原選手の地道な取り組みが、ようやくプロ球団から高く評価されます。

伊原陵人は2024年阪神ドラフト1位

伊原陵人選手は、2024年10月24日のドラフト会議で阪神タイガースから1位指名を受けました。

大学時代には届かなかったプロへの切符を、社会人2年目でつかんだのです。

金丸夢斗の外れ1位で指名

阪神は1巡目で、関西大学の金丸夢斗投手を指名しました。

金丸投手には中日、DeNA、阪神、巨人の4球団が競合し、抽選の結果、中日が交渉権を獲得しています。

抽選を外した阪神が、改めて1位指名したのが伊原陵人選手でした。

阪神は、最速150キロに迫る直球と奪三振能力を評価。

高校、大学、社会人の全国大会で登板してきた経験も、即戦力として期待された理由です。

ドラフト会議の翌日には、藤川球児監督と球団関係者が伊原選手のもとを訪れました。

仮契約時の条件は、契約金1億円、出来高3000万円、年俸1600万円と報じられました。

金額はいずれも推定です。

背番号18で1年目から活躍

伊原陵人選手の背番号は、阪神のエースナンバーでもある18に決まりました。

本人もInstagramで入団を報告し、歴史ある背番号を用意してもらったことへの感謝をつづっています。

2025年は中継ぎとして開幕一軍入りし、最初の6試合を無失点に抑えます。

4月20日の広島戦ではプロ初先発。

5回4安打無失点、5奪三振の好投で、プロ初勝利を挙げました。

阪神公式YouTubeでは、記念すべき初勝利の投球や試合後の舞台裏が公開されています。

ルーキーイヤーは28試合に登板し、5勝7敗、防御率2.29。

17試合に先発し、110イニングを投げて81三振を奪っています。

セ・リーグ新人王の投票でも44票を獲得し、2位に入りました。

2026年8月18日時点では、8試合に先発して4勝2敗、防御率3.25です。

8月16日の広島戦では5回2安打1失点に抑え、今季4勝目を挙げました。

阪神公式Instagramには、勝利投手となった伊原選手の姿も掲載されています。

大学で一度も指名されなかった投手が、今では阪神の先発陣を支えています。

これまでの経歴を知ると、背番号18を任された重みも少し違って見えてきますね。

まとめ

伊原陵人選手は、晩成フレンズ、八木中学校、智弁学園高校、大阪商業大学、NTT西日本を経て、阪神タイガースへ入団しました。

中学では一度野球を離れて柔道部に入り、大学では通算15勝1敗、防御率0.91を記録しながらドラフト指名漏れを経験しています。

それでもプロ入りを諦めず、NTT西日本で直球と体を鍛え直した結果、2024年に阪神からドラフト1位指名を受けました。

順調に見える経歴の裏で、何度も野球から離れかけ、それでも自分の意思で戻ってきた伊原選手。

遠回りした経験も、現在の落ち着いた投球や勝負強さにつながっているのかもしれません。

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