宮沢和史さんといえばロックバンド『THE BOOM』の元ボーカルとして『島唄』『風になりたい』など数々のヒット曲を手掛けてきました。
しかし『島唄』のリリースから30年以上が経ち、「曲は聴いたことあるけど宮沢和史さんのことはよく知らない」「宮沢和史さんは今は何をしているんだろう?」という人も多いのではないでしょうか?
現在も国内外を問わず歌手として精力的に活動を続ける宮沢和史さん。
この記事では、そんな宮沢和史さんを若い頃から現在まで時系列で振り返りながら魅力を深掘りしていきます。
宮沢和史の若い頃から現在までを画像比較
1966年〜|幼少期

宮沢和史(みやざわ かずふみ)さんは、1966年1月18日に山梨県甲府市に生まれました。
幼少期は体が弱くて内向的な性格でしたが、釣りや野球など友達と遊ぶうちに自然を駆け回る活発な性格になったそうです。
てっきり沖縄出身かと思いましたが、実は山梨県生まれの山梨育ち。
今でも無類の釣り好きとして知られています。
「詩」と「言葉」の持つ面白さに目覚めたのは小学校5年生の時。
当時好きだった女の子が書いていた「詩」の意外性に衝撃を受けたのがきっかけでした。
彼女が放課後に大学ノートに向かっていたので見たら、自分で書いた詩を読んでいた。そのタイトルが『悪魔になりたかった私』っていう…。
自分が思ってる自分、人が見ている自分、こうありたいという理想の自分は実はみんなかけ離れていて、そこをどうにか寄せ合い、まとめているのが人間なんだなと思ったし、言葉ってすごいなと思いましたね。
1979年〜|音楽に目覚めた中学・高校時代

「言葉」の魅力に目覚めた宮沢和史さんは次第に歌手の道を志すように。
中学2年から独学で作曲を始めて、学園祭などで披露をしていました。
高校は進学校の甲府南高校に進学するも、帰宅後は毎日2時間弾き語りに励む日々を送りました。
はじめてのライブ経験は高校3年の時、行きつけの喫茶店で20名ほどのお客さんを前に貸切ライブ。
この時にお客さんが拍手してくれたのがあまりに嬉しくて、今も忘れられないそうです。
歌手というのは拍手をもらうために歌う、シンプルに言うとそういう仕事だと思います。もちろんメッセージを感じ取ってもらったり、生活のためのお金を得るとかそういう面もあります。でも究極は歌ったあとに拍手やアンコールをいただいたとき、自分は期待されている、ああ、俺は生きているんだって感じられる。そういうことを連続させたいから続けている気がします。
1986年〜|THE BOOMを結成してメジャーデビュー



宮沢和史さんは高校卒業後に上京、1986年11月に『THE BOOM』を結成。
原宿の歩行者天国、通称『ホコ天』で路上ライブを行い精力的に活動しました。


「自分にしか作れない音楽とは何なのだろうか?」と音楽性に悩んでいましたが、レコード会社のスタッフから沖縄民謡のカセットテープをもらったことで沖縄の音楽の虜になったそうです。
2014年〜|THE BOOMの解散と活動休止



その後THE BOOMは活動休止と再開を繰り返しつつ、各メンバーはソロ活動にも注力するように。
宮沢和史さんもソロ活動のほか新バンド『GANGA ZUMBA』結成。
リーダーおよびボーカルを担当し、国内外を問わず活動の幅を広げていました。
しかし、宮沢和史さんは2005年頃から首の激痛に襲われるようになり、痛みで眠ることができず歌唱にも影響が出るようになりました。
その後も症状は悪化していき2013年に『頸椎症性神経根症』と診断され、翌2014年12月にはTHE BOOMの解散を決意。
2006〜2007年ころから、首の痛みの発作が出ると1か月くらい何もできないような状況がありました。その前からだんだん精神と身体が不安定になってきて、自分でもいい歌が歌えないなと思いながらTHE BOOMのメンバーやファンのみなさんにも隠して、やれる限りでやっていたんです。
解散を決めたのは、自分の病気のことでメンバーに迷惑をかけられないとの理由からでした。

その後も個人では歌手活動を続けるも、ついに首の痛みに限界に達し、歌手活動を休止して症状と付き合うことを決意します。
2016年1月、表舞台における歌唱活動の無期限休養を発表しました。
「中学のころから曲を作り始めて、ずっと音楽で生きていくつもりでした。まさかヘルニアでバンドを解散して、自分も音楽をやめる日が来るとは思ってもいませんでした」
2017年〜|歌手活動の再開
2017年1月7日、宮沢和史さんは自身のTwitterおよび公式サイトにて、歌唱活動を少しずつ再開していくことを発表しました。
【歌】
— 宮沢和史 information (@miyazawa_info) January 7, 2017
あけましておめでとうございます!
長い休暇をいただいたおかげで長年苦しんできた首の椎間板ヘルニアが悪化することなく身も心も元気です。
今年から立つべき舞台を選びながらも少しづつ…、ステージで歌い始めていきたいと思っています。宮沢和史#宮沢和史
2025年現在、58歳となった宮沢和史さん。
今では健康を健康を取り戻し、全国各地でのコンサート活動を積極的に行っています。
また音楽活動と並行して、故郷山梨県の小学校で特別授業を行ったり、沖縄民謡の伝承につながる取り組みを行うなど幅広く活動をしています。
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