浅村栄斗の生い立ち|中学時代は無名だった?大阪桐蔭での甲子園優勝からプロへ

東北楽天ゴールデンイーグルスの中心打者として、通算2000安打も達成している浅村栄斗さん。

華々しい実績を持つ浅村栄斗さんですが、実は「中学時代は無名だった」という意外な生い立ちが気になりますよね。

どのようにして名門・大阪桐蔭で才能を開花させ、甲子園優勝やプロ入りを勝ち取ったのか、その詳しい経歴を知りたい方も多いはずです。

この記事でわかること
  • スポーツ一家の末っ子として育った幼少期のエピソード
  • 中学時代は無名だった浅村栄斗さんが大阪桐蔭に入ったきっかけ
  • 2008年夏の甲子園で「打率.552」という驚異的な成績を残した伝説
目次

浅村栄斗の生い立ち|大阪市東淀川区で生まれたスポーツ一家の末っ子  

浅村栄斗さんは、大阪府大阪市東淀川区でスポーツに打ち込む家族の末っ子として誕生しました。

1990年11月12日生まれの浅村栄斗さんは、幼い頃から野球やソフトボールが身近にある環境で育っています。

父の哲弘さんは岡山・作陽高校野球部の出身であり、母の明美さんもソフトボール経験者という生粋のスポーツ一家です。

7歳上の次兄である展弘さんも大阪桐蔭高校の野球部OBであり、浅村栄斗さんは兄たちの背中を追いかけて成長しました。

次兄の展弘さんはインタビューで「家族の夢を全てかなえてくれた一家の誇り」と、プロで活躍する浅村栄斗さんを称えています。

小学4年でソフトボールを始める  

浅村栄斗さんが本格的に競技を始めたのは、大阪市立井高野小学校4年生のときでした。

それまでは特定のスポーツをしていませんでしたが、地元のソフトボールチームに入団したことがキャリアのスタートです。

ソフトボールで培った打撃の基礎やセンスが、後のプロ野球選手としての土台を作ったといえます。

スポーツ一家に育ったDNA 

浅村栄斗さんの粘り強いプレースタイルは、家族から学んだ「野球の厳しさ」が原点となっています。

特に次兄の展弘さんが、名門・大阪桐蔭で控え選手として苦労しながらも大学野球で活躍する姿を見て、努力の大切さを痛感したそうです。

「兄の努力を見て野球の厳しさを学んだ」という経験が、浅村栄斗さんを一流の選手へと押し上げる原動力になりました。

浅村栄斗の中学時代|「特に目立った選手ではなかった」  

中学時代の浅村栄斗さんは、意外にも全国的に名前が知られたスター選手ではありませんでした。

浅村栄斗さん本人が「特に目立った選手ではなかった」と当時を振り返るほど、当時は無名の存在だったのです。

井高野中学校から都島ボーイズで硬式野球を開始  

大阪市立井高野中学校に進学した浅村栄斗さんは、硬式野球チーム「大阪都島ボーイズ」に所属しました。

チームではセカンドで3番打者を務めており、攻守のバランスが良い好選手として知られていました。

しかし、この時点ではまだ「プロ注目」と言われるような圧倒的な存在感はなかったようです。

大阪桐蔭への入学は兄の縁と父の行動がきっかけ 

浅村栄斗さんが大阪桐蔭高校へ進んだ背景には、父の哲弘さんの熱心な働きかけがありました。

次兄の展弘さんが同校の野球部OBだった縁もあり、父の哲弘さんが西谷浩一監督へ「いい選手がいる」と直接連絡を入れたのです。

当初、次兄の展弘さんは「3年間球拾いで終わる覚悟はあるのか」と厳しい環境への入学に反対していました。

最終的には父の後押しもあり、浅村栄斗さんは日本屈指の激戦区である大阪桐蔭の門を叩くことになります。

浅村栄斗の高校時代|大阪桐蔭で甲子園優勝の立役者に  

大阪桐蔭高校に入学した浅村栄斗さんは、厳しい練習を経てチームの主力へと成長を遂げました。

1年秋からベンチ入りを果たし、3年夏には全国制覇の立役者としてその名を轟かせています。

1年秋からベンチ入り、2年夏にレギュラーをつかむ  

浅村栄斗さんは、1年秋という早い段階から守備の華やかさを評価されてベンチ入りしました。

しかし当時は集中力が続かずミスも多かったため、一時はベンチ外を経験するという苦い時期も過ごしています。

転機となったのは2年夏の大阪大会で、背番号14ながらセカンドのレギュラーを勝ち取り、打率5割を超える活躍を見せました。

2008年夏の甲子園|「1番・遊撃手」で打率.552の大暴れ  

浅村栄斗さんの伝説が刻まれたのが、2008年夏の第90回記念選抜高等学校野球大会です。

「1番・遊撃手」として出場した浅村栄斗さんは、大会通算打率.552(29打数16安打2本塁打)という驚異的な数字を残しました。

初球から積極的にフルスイングするスタイルで相手投手を圧倒し、チームの全国制覇に大きく貢献しています。

決勝・常葉菊川戦での”美技”と最後の打席のホームラン  

常葉菊川との決勝戦では、浅村栄斗さんの守備と打撃の両面で光るプレーが連発しました。

ショートとしてスクイズを阻止するなどの「美技」を披露し、守備の要として無失点勝利を支えています。

さらに高校生活最後となった打席では、レフトスタンドへソロホームランを叩き込み、最高の形で甲子園を締めくくりました。

先輩・中田翔ら名選手と切磋琢磨した大阪桐蔭時代 

浅村栄斗さんが過ごした時期の大阪桐蔭には、1学年上に中田翔さんなど後のプロ野球選手が数多く在籍していました。

西谷浩一監督からは「プロは失礼や」と厳しい指導を受けることもありましたが、先輩の西岡剛さんからのアドバイスで意識が激変。

「絶対に見返してやる」という強い気持ちで練習に励み、副主将として最強軍団をまとめ上げる存在になりました。

高校卒業からプロへ|ドラフト3位で西武入団  

高校時代の圧倒的な活躍が認められ、浅村栄斗さんは2008年のドラフト会議で埼玉西武ライオンズから指名を受けます。

中学時代の無名時代から這い上がり、ついにプロ野球選手という夢の舞台へと辿り着きました。

契約金5000万円・年俸600万円でプロの世界へ  

浅村栄斗さんは2008年11月、西武ライオンズと契約金5000万円、年俸600万円(推定)で仮契約を結びました。

ドラフト3位という高い評価を受け、プロとしての第一歩を踏み出した浅村栄斗さんの表情には決意が満ちていました。

背番号32は憧れの松井稼頭央が入団時に付けていた番号 

西武入団時の浅村栄斗さんの背番号は「32」に決定しました。

この番号は、浅村栄斗さんが憧れの選手として挙げていた松井稼頭央さんが、西武入団時に背負っていた大切な番号です。

尊敬するレジェンドと同じ番号を背負い、浅村栄斗さんはプロの世界での成功を誓いました。

まとめ

浅村栄斗さんの生い立ちを振り返ると、スポーツ一家の末っ子として培われた負けん気の強さが、成功の鍵であったことがわかります。

中学時代は全国的には無名な選手でしたが、父の熱意と本人の努力によって大阪桐蔭への道を切り開き、甲子園で誰もが認める怪物へと進化しました。

高校最後の打席でホームランを放つ勝負強さや、憧れの松井稼頭央さんの背番号を継承したエピソードは、ファンの間でも語り草となっています。

プロ入り後も着実に実績を積み上げ、今や日本球界を代表するバッターとなった浅村栄斗さんの今後のさらなる活躍から目が離せませんね。

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