「高木美帆さんって、どんな学校に通っていたんだろう?」と気になっている方は多いのではないでしょうか。
スピードスケートの女王として世界を席巻する高木美帆さんですが、学生時代にはスケート以外にもサッカーや野球など複数のスポーツをこなし、アルバイトでも驚くほどの才能を発揮していたことをご存知でしょうか?
この記事では、高木美帆さんの学歴と学生時代のエピソードを時系列でまとめています。
- 高木美帆さんの出身小学校・中学校・高校・大学
- 中学時代に史上最年少でオリンピック代表になった背景
- スケート選手らしくない?意外な才能や学生時代のエピソード
高木美帆の学歴と学生時代のエピソードまとめ!

生い立ち|スケートとの出会いは5歳の頃
高木美帆さんは、1994年5月22日に北海道中川郡幕別町で生まれました。
両親と兄、姉(同じくスピードスケート選手の高木菜那さん)の5人家族の末っ子です。
父親は会社員、母親は新聞配達やスーパーのアルバイトをしながら家族を支えていたそうです。
スケートを始めたのは5歳のころ。きっかけは兄の影響で、最初はショートトラックスピードスケートに取り組んでいましたが、その後ロングトラックへ移行しています。
そして、スケートと並んで注目したいのがサッカーです。
7歳からサッカーを始め、男子に混じってフォワードとしてプレー。北海道選抜に選ばれるほどの実力を誇っていました。
録画視聴「アスリートDays」、高木美帆さん。次のオリンピックを目指してるんですね。確か10歳だったか12歳だったかまではサッカーと両立しててダンスも得意で、のちスケートに絞った運動能力のかたまり。15歳で初のオリンピック出場。この人も天才。 pic.twitter.com/mkmQDoF9sF
— Route_63 (@strolling_kat) October 4, 2024
RYO「スケート選手がサッカーの選抜に?」と驚くファンの声も少なくありません。
高木美帆さん本人は「挫折を感じたことはない」と当時を振り返っており、幼少期は自然体でスポーツを楽しんでいたようです。
小学校時代|スケートとサッカーで目覚ましい活躍
小学校時代の高木美帆さんは、スケートとサッカーを並行して取り組み、両方で目覚ましい活躍を見せました。
また、後の高校時代のアルバイトにつながるエピソードとして、地元帯広市の「高橋まんじゅう屋」に小学生のころから通っていたという話が残っています。
サッカーで鍛えた持久力、スケートで磨いた瞬発力。この2つが同時に養われた小学校時代は、のちのスーパーアスリート誕生の原点といっても過言ではないでしょうね。
中学校時代|史上最年少の五輪出場
中学校時代こそ、高木美帆さんのスケート人生が一気に加速した転換期です。
2009年には世界ジュニアスピードスケート選手権の日本代表に選出。
さらに中学3年生の12月、バンクーバー2010オリンピック代表選考会で女子1500m優勝・1000mで中学新記録を樹立し、15歳でスピードスケート史上最年少のオリンピック日本代表に選ばれました。
一方でサッカーの方はというと、女子サッカー北海道トレセンU-15に選抜されるなど、スケートとサッカーどちらも非凡な活躍をしていました。
中学時代はサッカー部に所属し、FWとして活躍。日本サッカー協会のナショナルトレーニングセンター女子U-15(15歳以下)に選抜された。
引用:読売新聞オンライン
この快挙により全国的に「スーパー中学生」として注目を集め、地元・幕別町から町民栄誉賞も授与されています。
また、スケートとサッカーに加えて「軟式野球も経験した」との報道もあります。
一方で、国立スポーツ科学センターの合宿に参加するなどスポーツ科学への関心も芽生えており、アスリートとして成長しながらも知的探求心も持ち合わせていたことが伝わります。
本人は「バンクーバーは運よく出られた」と謙遜していますが、その裏にあった努力と重圧は相当なものだったはずです。
高校時代|「100年に一度の選手」と評される
高校進学後は、スケートに専念する環境が整い、2010年の世界ジュニア選手権でも活躍。年間60レースをこなし、恩師から「100年に一度の選手」と評されました。
高校時代で特に話題を集めているのが、夏休み中のアルバイトエピソードです。
帯広市の「高橋まんじゅう屋」で3日間働いたところ、レジ打ちで一度もミスをしなかったうえ、離れた場所からの在庫の会話を聞き取って正確に答えるなど、圧倒的な観察力と先読み能力を発揮。
店主から「1言ったら10分かる、能力が違った」と絶賛されたといいます。
高木の働きっぷりを道明さんは、「周りが見えているし、先が読める。私たちが一体何をしようとしているのか分かっている。最初からそんなに働ける子を見たことがなかった」、ともに働いている妻・美哉さんは「1言ったら10、分かる。普通の子とは能力が違った」と語った。
引用:デイリー



スケートで培った戦略的な思考が、日常生活にも表れていたのかもしれませんね。
また、サッカーは高校で区切りをつけましたが、リフティング1000回に挑んだというエピソードも残っています。やるからには徹底的に、という姿勢が垣間見えます。
進路については、実業団からの好条件オファーを断り、日本体育大学への進学を選択。
日本最高峰の競技環境を手に入れられるのに、あえてそうではない困難な道を選び、自分らしさを貫こうとチャレンジした
引用:スポーツナビ
大学への進学を選んだのは「スケート一辺倒ではなく、私らしさを貫きたい」という考えからだったとされています。
大学時代|挫折からのメダル獲得
2012年12月にスポーツ推薦で合格した高木美帆さんは、大学でスケートと勉強の両立を目指しました。
しかし、入学後は練習パートナーの不在や勉強の負担が重なり、成績が振るわない時期に突入。
2014年ソチオリンピックの代表選考では落選という、大きな挫折を経験しています。
高木美帆さん自身は「死に物狂いでスケートに取り組めなかった」と当時を振り返っており、あの中学時代のスーパー中学生でも壁にぶつかることがあったのだと、多くのファンが驚きとともに共感の声を寄せています。
しかし、この挫折がターニングポイントとなり、2018年平昌オリンピックでは金・銀・銅メダルの獲得という歴史的な結果につなげました。
高木美帆
— ボクシング試合情報・データ・記録 (@Boxdatainfo) February 17, 2022
オリンピック
バンクーバー(2010)
1000m 35位(完走者最下位)
1500m 23位
ソチ(2014)
代表落選で出場無し
平昌(2018)
1000m 銅メダル🥉
1500m 銀メダル🥈
団体パシュート 金メダル🥇
北京(2022)
3000m 6位
1500m 銀メダル🥈
500m 銀メダル 🥈
団体パシュート 🥈
1000m 金メダル🥇
「私らしさ」を追求した大学選びが、長期的に見れば最良の選択だったといえるでしょう。
卒業後も日本体育大学に所属を置き続けた高木美帆さんは、2023年4月にInstagramで「学生の頃から合わせて10年。お世話になりました」と感謝を綴っています。
まとめ
高木美帆さんの学歴を振り返ると、スケート一筋というイメージとは少し異なる、多彩で人間味あふれる学生時代が見えてきます。
サッカーで北海道選抜、中学で史上最年少五輪代表、高校ではアルバイト先を驚かせ、大学では挫折を経て平昌で輝く——その軌跡はまさにドラマそのもの。
「私らしさ」を貫いてきた高木美帆さんの今後のさらなる活躍に、期待が高まるばかりです!

コメント