落ち着いた雰囲気と独特の存在感で、映画やドラマに欠かせない俳優となった中島歩さん。
知的な印象がありますが、どのような学校に通い、どんな学生生活を送っていたのでしょうか。
実は国語教師を目指して大学へ進学し、中学と高校の教員免許も取得しています。
一方、学生時代は落語や漫才、バンドにも取り組むなど、人前に立つことが好きな一面もありました。
今回は、中島歩さんの大学・高校・中学と、俳優につながった学生時代のエピソードをまとめます。
中島歩の大学は日本大学藝術学部文芸学科
中島歩さんの出身大学は、日本大学藝術学部文芸学科です。
日本大学藝術学部は日芸の愛称で知られ、映画・演劇・音楽・写真・文芸など、幅広い表現分野を学べます。
中島歩さんが在籍していたのは演劇学科ではなく、小説や評論などを扱う文芸学科でした。
大学では文章の書き方を学ぶ一方、落語研究会にも所属。
個性的な学生たちから刺激を受けるなかで、教師志望から俳優へと進路が変わっていきました。
国語教師を目指して日芸へ進学
中島歩さんは、もともと国語教師になることを目指していました。
小学生の頃から学校が好きで、将来は教師になるつもりだったそうです。
当初は教育学部への進学も考えていましたが、両親から教師以外の選択肢について助言されます。
そこで、自分が興味を持っていた文章について学べる日本大学藝術学部文芸学科を選びました。
日芸を知ったきっかけは、中学生の頃から聴いていた深夜ラジオです。
爆笑問題が日芸出身だと知り、調べてみると文芸学科で国語の教員免許を取得できることが分かりました。
ほかの大学も受験していましたが、本人によると合格したのは日芸だけだったそうです。
文芸学科では、小説や文章を書く授業も受けています。
中島歩って国木田独歩の玄孫(やしゃご)なの!?
— やっこ (@yakko_cheshire) August 8, 2026
独歩から歩もらったって言ってる!へぇー!
しかし、ゼロから物語を作るより、すでにある文章を自分の身体や言葉で表現する方が合っていると感じました。
この気づきが、後に俳優を目指すきっかけの一つとなります。
中学・高校の国語科教員免許を取得
中島歩さんは大学で教職課程を履修し、中学校と高校の国語科教員免許を取得しています。
教師志望から俳優へ進路を変えた後も、必要な授業を受けて教員免許を取得したことになります。
教職課程では、専門科目だけでなく教育に関する授業や実習も必要です。
落語研究会やモデル活動と並行しながら、教員免許取得に必要な単位を修めていました。
ただし、教育実習を行った学校については公表されていません。
母校の小石川高校で教育実習をしたという情報も、確認できませんでした。
俳優ではなく教師の道を選んでいたら、国語を教えていた可能性もあったということですね。
落語研究会で高座名は大家主水(ダイヤモンド)
中島歩さんは大学時代、日本大学藝術学部の落語研究会に所属していました。
高校時代に漫才やコントをしていたため、大学でもお笑いに関係するサークルを探していたそうです。
先輩から漫才やコントもできると勧誘され、楽しそうだと思って入部しました。
ところが、実際の落語研究会は古典落語を本格的に練習する厳しいサークルでした。
教室の机に座布団を敷き、その上で先輩たちに見られながら落語を披露。
終わった後には厳しい指導を受ける毎日だったと振り返っています。
最初に覚えた演目は、古典落語の「道具屋」でした。
高座名は大家主水(ダイヤモンド)です。
先輩から付けられた名前で、本人はあまり気に入っていなかったと明かしています。
先ほどのツイートの補足を。写真は日本大学芸術学部の落語研究会時代の中島歩さんです。大家主水(だいやもんど)の名前で落語を披露しているところ。いなせだね。もう一人の日芸落研出身の春風亭一之輔師匠の迫真の高座写真はぜひ最新号のポパイで! pic.twitter.com/sdGhXOLOJK
— POPEYE (@POPEYE_Magazine) August 16, 2016
大家主水より前には、血家裸王(チャラオウ)という高座名も使っていました。
落語研究会の先輩によると、中島歩さんは入部時の自己紹介で「スターになりたい」と話していたそうです。
落語家や芸人になることも考えましたが、一人で努力を続ける落語の世界は自分に合わないと感じました。
その一方、落語を通じて、話すテンポや抑揚、観客の反応を感じ取る力を身につけています。
この経験は、現在の俳優業にも生かされているそうです。
大学2年生でモデル活動を開始
中島歩さんは大学2年生の頃にモデル活動を始めました。
日芸には、在学中から俳優やミュージシャンとして活動している学生もいました。
好きな道を進む学生たちを見て、自分も一般的な就職だけにとらわれなくていいと思ったそうです。
そこで、俳優になる足掛かりとしてモデルを始めることを決意。
インターネットでモデル事務所を調べ、履歴書と写真を持って自分から事務所を訪ねました。
中島歩さんは、この行動を当時の自分にとって最も思い切った挑戦だったと振り返っています。
モデルに強い憧れがあったというより、俳優やスターになるための入り口として選んだ仕事でした。
モデルの現場では、カメラマンやスタイリスト、編集者など、好きなことを仕事にしている大人たちと出会います。
その姿から刺激を受け、自分もやりたい道を進もうという思いが強くなりました。
大学卒業後はモデルを辞め、アルバイトをしながら俳優のオーディションを受けるようになります。
そして2013年、美輪明宏さんが主演・演出を務めた舞台『黒蜥蜴』で、約200人の中から雨宮潤一役に選ばれました。
中島歩さん、エネッチケーの大河や朝ドラでちょいちょいお見かけしてすごい頭身だなぁ…と思ってるんだけど、役者デビューは美輪さんの黒蜥蜴なんだよね😂映像残ってないと思うけどすごく見てみたい
— eye (@hallmark___) April 29, 2026
大学時代に踏み出した一歩が、俳優デビューへとつながったのです。
中島歩の高校は東京都立小石川高等学校
中島歩さんの出身高校は、東京都立小石川高等学校です。
現在の東京都立小石川中等教育学校の前身にあたる、歴史ある都立高校でした。
中島歩さんが通っていたのは、中高一貫校へ完全移行する前の旧・小石川高等学校です。
そのため、現在の小石川中等教育学校に中学から通い、内部進学したわけではありません。
高校時代はバレーボール部に所属していました。
小石川高校バレーボール部の後援会資料にも、中島歩さんの名前が残っています。
2006年に開催されたバレー部創立60周年記念式典では、記念クイズに全問正解し、記念品を贈られました。
ただし、バレー部でのポジションや大会成績、レギュラーだったかどうかは公表されていません。
部活動だけでなく、学園祭では友人と漫才やコントも披露していました。
自分で台本を書くこともあり、当時から人を笑わせることが好きだったそうです。
さらにバンドを組み、ギターとボーカルを担当。
オアシスやグリーン・デイなど、海外のロックバンドをコピーして文化祭のステージにも立っています。
バレーボール、漫才、コント、バンドと、高校時代から幅広い活動に取り組んでいました。
中島歩の中学はどこ?
中島歩さんの出身中学校名は公表されていません。
宮城県で生まれていますが、4歳頃から東京都北区王子で育ったことを本人が明かしています。
2011年頃に実家を出るまで約20年間、王子で暮らしていました。
小学校や中学校の時期も王子で生活していましたが、具体的な学校名は確認できませんでした。
中学校ではサッカー部に所属しています。
本人が「中学まではサッカー部だった」と話しているため、小学生の頃から続けていた可能性もあります。
ただし、サッカーを始めた年齢や大会成績などは明らかになっていません。
中学生の頃から深夜ラジオもよく聴いていました。
オールナイトニッポンや爆笑問題の番組が好きで、ここから日芸やお笑いへの興味が広がっていきます。
子どもの頃から映画も好きで、毎週のようにレンタルビデオ店へ通っていました。
特にジム・キャリーが好きで、映画『マスク』を何度も見ていたそうです。
まとめ
中島歩さんは、東京都立小石川高等学校から日本大学藝術学部文芸学科へ進学しました。
大学では中学・高校の国語科教員免許を取得する一方、落語研究会に所属し、大家主水の高座名で活動しています。
出身中学校名は公表されていませんが、中学まではサッカー部に所属し、東京都北区王子で育ちました。
教師志望から落語、モデル、俳優へと進んだ学生時代の経験が、現在の幅広い演技につながっています。


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